リトアニア文化論Ⅱ〜思想や慣習からみたリトアニア〜
第二弾の今回は、思想と慣習という側面からリトアニアを見ていく。Vilnius大学のInga Hilbig教授と話す機会があったので、そこでの話も盛り込んでいきたいと思う。日本と類似した特徴が見て取れたのでそのことも踏まえたい。*1。
どんなものにも例外があるように、以下で述べられることでリトアニアを語れるとは思わない。例えば、「日本人は勤勉だ。」という言説にはもちろん例外がある。そのため、以下で見ていくものはリトアニア人の「あるある」と思っていただきたい。では3つのことを見ていこう。
1. 自他の考え方
まず前提として、Zaninelli S. M.(1994)が触れたココナッツ型・ピーチ型モデルについて触れたい。市の考えでは、文化はココナッツ型とピーチ型に分類できる。ピーチは身が柔らかく、中心に小さな硬い殻がある。一方ココナッツは、外殻が硬いが、一度殻を破ってしまえば中身は柔らかい。このことを、公私として見ると、下図のようになる。
アメリカを始めとした欧米諸国はピーチ型と言われる。初対面の人に対しても、優しくフレンドリーで柔らかい。外は柔らかいので、誰でも中に入りやすい。例えば、ファーストネームで呼び合うことが思い浮かぶだろう。しかし深い関係を持つことが難しい。核にある本当のその人を知るには、時間がかかる。そのため、外身だけで友好関係が終わることがある。
一方、ドイツやロシアといった国は、ココナッツ型と言われる。初対面の人にはあまり友好的でなく堅い。外が堅いので、誰もが中には入れるというわけではない。しかしひと度殻を破れば、友好的になり、個人的なことも語るようになる。日本もココナッツ型に近い。
もし出先で知らない人と、目と目とが合ってしまったら日本人ならどうするだろうか。おそらく殆どの人が目を逸らすだろう*2。リトアニアにおいてもこれは同じである。何を当たり前を、と思うかもしれないが、欧州では基本、アイコンタクトがあると笑顔を送る。リトアニアもココナッツ型なのである。
また日本と同様に暗黙の了解が存在し、文脈を読むこともある。言わぬが花という考えや婉曲的な物言いも多い。
2. 時間・空間に対しての認識
「また今度食事行こうね。」というフレーズを一度は口にしたことがあると思う。「今度」はしばしば「二度と」に近い。しかしこれは一種の社交辞令である。よくある冗談で、日本人がこのフレーズを外国人にいうと、外国人がその場で予定表を出し日程を決めようとして日本人が面を食らった。リトアニアにおいてもこのフレーズは基本的に社交辞令となっている。
時間に正確かどうかに関しては、ちょっとした遅刻は問題ないという認識があるらしい。
列に並ぶという感覚があまりないため*4、ズル込みはしばしば見られる。
日本には「すみません」という魔法の言葉がある。混雑時に人を押しのけ進むような”空間を裂く”行為の時用いられる。リトアニアにおける魔法の言葉は「atsiprašau」。用法は「すみません」と全く同じである。謝罪・依頼・感謝の場面においても使う。
3. 慣習*5
bodylanguage編
・男性同士は握手が挨拶
・女性と握手する場合は、男性が先に手を出してはいけない。女性が手を出すのを待つべし
・握手するとき、手袋等は外す
・人を指差してはいけない
・人に対してあくびをかいてはいけない。日本同様手で隠す
・友達同士ではしばしばボディタッチが当たり前
訪問・招待 編
・会う前にSMSや電話を入れることがしばしばある
・5−10分遅れるのが礼儀
・たとえいらないと言われても、何かおみやげを持っていくのが礼儀
・偶数本の花を贈ってはいけない。日本同様菊の花もいけない(葬式のみ偶数本)
・基本的に屋内は靴を脱ぐ
・基本的に贈り物は裸のままで渡す(先に中身が見えていれば、がっかりした顔を周りに露骨に見せなくて済む)
・年長者を敬い、テーブルでは先に座ってもらう
・若い未婚の女性はテーブルの端に座ることを避ける
筆者個人としては、リトアニアの文化・慣習は他の欧州諸国に比べ日本にとても似ている。リトアニアも日本もココナッツ型に分類されるからであろうが、それにしても多い。
リトアニアはもともと自然崇拝や多神教の信仰のペイガニズムの国だった。キリスト教化したのも14世紀の終わりと、ヨーロッパの中で一番遅い。リトアニアのペイガニズムは、日本の神道に近しい考えを持っているように思える。筆者は、この背景が一番起因しているのではないかと考えている。
日本との類似点が多いため、日本人にとってある意味自然体で過ごしやすい国リトアニア。シリーズ最終回の次回は、会社での様子*6について見ていく。